この記事には広告を含む場合があります。
記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
鬼滅の刃の最終回で「日本最高齢記録を更新した産屋敷さん」という高齢の男性がテレビで紹介されました。
この人物は鬼殺隊の当主であった産屋敷輝利哉(うぶやしききりや)なのでしょうか?
輝利哉は生きていたら何歳になっているのか、産屋敷家の呪いや名言についても解説したいと思います。
鬼滅の刃 産屋敷輝利哉(うぶやしききりや)とは?
鬼殺隊を取りまとめるお館様の跡取り息子が産屋敷輝利哉(うぶやしききりや)です。
実は男の子だった輝利哉は訳あって女の子の姿をしていたんです。
97代目当主・産屋敷耀哉の跡取り
産屋敷輝利哉(うぶやしききりや)はお館様である耀哉(かがや)の跡取りです。
耀哉の子供は確認できるだけで5人いて、姉にひなき、にちか、妹にかなた、くいながいます。最終選別の案内役としてはじめて登場しており、双子の姉妹のようにみえましたが女の子の恰好をしているのは理由がありました。
産屋敷家の男子は病弱な家系のため13歳までは女子として育てることで厄除けをしていたのです。輝利哉はこのときはまだ8歳でした。
耀哉の死後は当主として鬼殺隊の指揮を担当
耀哉は無惨と自爆するときに妻のあまねと娘のひなき、にちかを産屋敷邸に残していました。
耀哉が死んだ後はお館様として98代目の当主になり妹のかなた、くいなと共に鬼殺隊の指揮をしています。
無限城編では愈史郎と協力して血鬼術の目を使い無限城の製図をして隊士たちに適切な指示を出していました。
しかし無惨が繭から復活してその場の鬼殺隊士を皆殺しにしたときは取り乱して妹にビンタされるなど歳相応の未熟な面もみえました。
無惨の死後は呪いが解け日本最高齢記録を樹立する
無惨を倒した後、鬼殺隊を解散させた輝利哉。その後は妹たちと遊んだりしながら歳相応の生活を取り戻していきました。
そして最終話では日本最高齢記録を達成したとテレビで紹介されており、代々短命だった産屋敷家の呪いは解けたみたいですね。
最終決戦で共闘した鬼の愈史郎(ゆしろう)とは戦いが終わった後も交流があるようです。
産屋敷輝利哉(うぶやしききりや)の名言セリフ
産屋敷輝利哉(うぶやしききりや)は8才にして鬼殺隊当主となり、隊員たちを引っ張るリーダーの任務を果たします。
小学生とは思えない口調で名言の数は少ないですがしっかりした人格が見てとれます。
名言:上弦の壱は 行冥と実弥 無一郎と玄弥の四人が必ず倒す
黒死牟と柱たちとの戦いでのセリフ。
刀身が変化したことで黒死牟の攻撃範囲が格段に広がり、長くなった刀から繰り出される攻撃によって不死川実弥の指が二本欠損してしまいます。戦況が不利になったとみた妹のくいなは柱や炭治郎たちを増援を送るか輝利哉に聞きますが、
「いや、義勇と炭治郎はそのまま無惨の元へ 上弦の壱は行冥と実弥、無一郎と玄弥の四人が必ず倒す」
と言い切りました。
名言:父上が好きにさせろと言ってるんだ
鱗滝が見守る中、寝ていた禰豆子は突然布団から起き上がりどこかへ駆け出していきます。煉獄の父・槇寿郎は禰豆子が飛び出したことを輝利哉に伝え指示を仰ぎます。輝利哉は動揺します。
無惨に操られているのか?薬が効いて人間に戻ったのか?
どちらにしても追わないといけないと思い指示を出そうとしますが、ここで耀哉の声が聴こえます。
禰豆子は好きにさせなさい、大丈夫だから
父の助言を受けて輝利哉は泣きながら追わないように言います。
名言:産屋敷家一族一同 心より感謝申し上げます
無惨を倒し平和が訪れた後に柱合会議を開きました。柱で生き残っていたのは風柱・不死川実弥と水柱・冨岡義勇の2人だけです。
輝利哉は柱の2人に今まで命を賭けて戦ってくれたことに感謝し妹たちと頭を下げます。
これに対して実弥はこれまで鬼殺隊が続いてきたのも産屋敷家の尽力あってこそと言い、義勇は輝利哉が立派に務めを果たしたことに父や先祖の人たちも誇りに思っていると伝えます。
輝利哉は泣きながら感謝し、その子供らしい顔をみて柱の2人も笑みを浮かべていました。
鬼滅の刃最終回・現代編で長寿日本一になった 産屋敷輝利哉(うぶやしききりや)
最終回で日本最高齢記録を達成してテレビで紹介されていた産屋敷輝利哉はいったい何歳になっているのでしょうか。
そして産屋敷家は代々短命の家系で30を超えて生きる人はいなかったと言われていた呪いはどうなったのか解説していきます。
現代で産屋敷輝利哉は生きていたら何歳?
産屋敷輝利哉は最終決戦の時の年齢が8歳だと明らかになっています。そして鬼滅の刃の時代設定は大正時代なのですが正確に何年かは分かっていません。
しかし炭治郎が最終選抜で戦った手鬼の発言からある程度絞ることができました。手鬼は1867年〜1868年(慶応3年〜4年)に鱗滝と戦い捕まっていると言っていました。炭治郎達と戦ったのはそれから47年後、1914年〜1915年(大正3年〜4年)あたりではないかと考えられます。
そして現代編は2020年だと仮定すると2020年-(1914年〜1915年)=105年から106年後になっていることになります。輝利哉の当時の年齢である8歳を足すと113歳から114歳あたりではないかと推察できます。
ちなみに2020年での日本最高齢記録は117歳とされています。なので最終回で紹介されていたのは輝利哉本人である可能性が高いです。もし輝利哉の子供であれば100歳以下のはずなので日本最高齢記録には届いていないはずです。
産屋敷一族の短命の呪いが解けたのか?
産屋敷一族は代々短命の家系でした。ではなぜ輝利哉は長く生きることができたのでしょうか?考えられるのは呪いが解けたということです。
鬼舞辻無惨は産屋敷家と同じ一族でした。無惨が鬼になったことで一族は呪いを受けて子供が早々に死んでしまいました。
このままでは血が途絶えると思い神主に相談したところ同じ血筋から鬼が出ていて、その者を倒すことに心血を注げば一族は絶えないと言われます。無惨の呪いが代々産屋敷家の人間を苦しめていたのです。
これについては無惨は何の因果関係もないと否定していましたが、無惨の死後に輝利哉がここまで長生きしたので呪いが解けたという考えが一番しっくりくるかもしれないですね。
まとめ
産屋敷輝利哉の名言、最高齢記録の解説はいかがでしたか?輝利哉は8歳という幼い年齢の時から重い役割を担っていて歳相応の人生を送れていませんでした。
しかし無惨を倒し、最終話で最高齢記録としてテレビで紹介されたことは平和の象徴と言ってもいいと思います。
輝利哉は鬼殺隊が解散した後は妹たちと幸せそうに遊びながら生活したことが単行本でも明らかになっています。
代々短命に終わっていた先祖の分まで人生を楽しんでいるようで父の耀哉も喜んでいると思います。