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東日本大震災による福島第一原発の事故で、最悪の事態を防ぐために戦った人達がいました。
その約50人の原発職員の当時の奮闘を描いた映画「Fukushima50」が公開されています。
再び日本が新型コロナウイルスの脅威に晒され、多くの医療従事者の方々が一人一人の患者の命を救うために必死に治療をしている今、見るべき作品の一つだと思います。
「Fukushima50」は実話を基にした作品です
そこで気になってくるのはどこまでが事実なのかです。
多くの作品は、映画化する際に物語の整合性のために脚色した部分があります。
感動したのに、これは事実じゃなくて脚色されたシーンだったとあとから気付くこともあります。
今回はあらすじとどこまでが本当かをご紹介していきたいと思います。
「Fukushima50」あらすじ紹介
「Fukushima50」あらすじ
震災発生
2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0の地震が発生します。
それは日本の観測史上最大規模の地震でした。
自動で原子炉には制御棒が入り緊急停止し、非常用電源に切り替わりました。
吉田所長は緊急時対策室を設置し、対応に追われていましたが、そんな中、防波堤より高い津波も発生し、福島第一原発は津波に飲まれてしまいます。
非常電源も水没し、全電源喪失(SBO)となります。
全職員はその時にメルトダウンが起こると覚悟します。
メルトダウンを阻止
SBOとなったため、機械による操作ができなくなった原発を止めるには、人間が放射能汚染の危険もある場所へ行き、手作業でメルトダウンを防がなければなりませんでした。
メルトダウンを防ぐには原子炉の弁を開き、圧力を下げるベントという作業をする必要がありました。
しかし、原子炉内の放射線量は基準値をはるかに上回り、整備区域は温度が上昇し、とても危険です。
作業員達は決死のベント作業を行う作業員を選びますが、それはこの中から死ぬ人を選ぶのと同じことでした。
政府への対応や刻一刻と変わる状況への対応に追われ、作業員達は焦り始めます。
結果、温度が高すぎて近づけないエリアが出てしまい全ての原子炉を回ることができず、一号機は水素爆発を起こしてしまいます。
注水作業
原子炉の温度を下げるために上空から海水を注水する作業が開始されました。
陸上自衛隊のヘリコプターが海水を運んできてくれます。
避難所では米軍が救援物資を持ってきてくれるトモダチ作戦が展開していました。
原発作業員も人数を絞って交代制でホースでの注水を続け、原子炉は冷えていき、安定させることができました。
その後
3年後、吉田所長は食道がんで亡くなり、葬儀が行われました。
参列した人達の中にはあの時原発に残ったメンバーもいました。
彼らは原発事故当時に最悪の事態を防ぐために原発に残り、その後も廃炉作業やその他のことで戦い続けてきた吉田所長を偲び、これからの原発(自然)と人間のあり方に思いを馳せました。
フクシマフィフティの意味は?
「Fukushima50(フクシマフィフティ)」とは、当時、世界各国の報道で使われた言葉で、原発事故の対応のため福島第一原発に残った人達の呼び名です。
約50人いたことから「Fukushima50」となりました。
日本を救うために死を覚悟で原発に残った勇敢な作業員を称えるためにそう呼ばれました。
「Fukushima50」は実話だった?
「Fukushima50」の元になった原作小説
映画「Fukushima50」の元となった原作小説があります。
ノンフィクション作家の門田隆将さんの本「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」です。
こちらの本は門田さんが原発事故の関係者90人以上に取材し、執筆したノンフィクションです。
2011年3月には既に取材を始めようと動いていましたが、そう簡単には取材をさせてくれない所が多く、吉田所長に取材できたのは震災から1年4ヶ月後でした。
現場で戦った人達のことが知られないままになってしまうことを防ごうとするノンフィクション作家としての信条が原動力だったのでしょう。
原発に残った作業員がいなければ東日本は壊滅していたかもしれない。
そのことを多くの人に知ってもらうために、門田さんは熱心に取材を続けました。
映画で関心を持ち、より多くの情報を知りたいと思った方にはこちらの本がおすすめです。
「Fukushima50」はノンフィクション?
映画「Fukushima50」は、完全に事実だけを描いたノンフィクション作品ではありません。
登場人物が実在の人の本名で出てくるのは吉田所長だけで、あとの職員は別の名前に変わっており、総理大臣などは名前が出てきません。
映画「Fukushima50」で重点を置かれているのは、あの時、最悪の事態を防ごうと福島第一原発に残って決死の作業をした吉田所長他、約50人の原発職員がいたということです。
最後の砦として残った原発職員達の奮闘を称える感動作といった方が近いでしょう。
「Fukushima50」映画と事実の違いはどこ?
実際の報道や映画のタイトルでは「Fukushima50(フクシマフィフティ)」と言われていますが、実際に福島第一原発に残った人は69人いました。
数字のキリの良さや語呂がいいことから「Fukushima50」になったのだと思われます。
この映画のテーマからすれば、本来なら、名もなき英雄として称えられた69人全員にスポットライトを当てるべきなのでしょう。
しかし、先に報道された時に用いられた言葉の方が伝わりやすいのでこのままの表現が採用された形になっています。
また、津波による被害の描写等は実際に目にした方々への配慮の観点からも実際のものとは違った映像になっています。
これに関しては、リアリティの追求はもはや不要ということでしょう。
映画館という暗い閉鎖空間で、安心してお客さんにお見せできる範囲での描写に置き換わっています。
他にも、福島第一原発のメンバーの視点のみで語られるからなのかもしれませんが、総理大臣や官邸側の対応が見る人によっては違和感を覚える箇所もあるようです。
一刻を争う緊迫した状況を演出するためにわかりやすすぎるくらいのストーリーになっています。
当時の政権には批判の声もあり、この映画の劇中でもマイナスなイメージをもたれやすいキャラクターとして登場してきます。
この件に関してはこの映画での描写を鵜呑みにせず、より多くの情報を精査したうえで自分なりの見解を持つべきかと思います。
「Fukushima50」は実話?映画は事実と違いがあるのか調査!まとめ
映画「Fukushima50」の映画館での公開日は2020年3月6日でした。
新型コロナウイルスのため映画館が休館し、動画配信サービスでの視聴が可能になり、5月末から各地の映画館でも公開が再開されています。
奇しくも、日本中が再び平和な日常を脅かされることになった時期にこの映画は公開されました。
東日本大震災が起きてから9年が経ち、その時のことを覚えていない子供や、震災以降に生まれた子供達もいます。
あの時、日本のどこかで震災・津波による被害と原発事故に関する報道を見ていた私達でさえ、あの緊迫感を忘れ、日常を楽しんでいました。
福島第一原発での廃炉作業はまだ続いているというのにです。
そして、今、私達はあの時忘れてはならないと感じた自然の脅威を再び違った形で見せつけられています。
「Fukushima50」として事故を防ぐために福島第一原発に残った人達は、各国の報道やこの映画の中でも英雄として称えられます。
しかし、彼らも同じ平和な日常を送るはずだった一人の市民でした。
映画は実話を基にしていますが、脚色も多く見受けられます。
ですが、そこで戦った人達がいたことは事実です。
今、新型コロナウイルスの患者を救うため、医療現場で働いている医療従事者の方々がいます。
原発事故が起きた時、私達が本当は何をすべきだったか、映画「Fukushima50」を見て感じた部分もあるかもしれません。
その気持ちは、今頑張っている医療従事者の方々に向けられるべきものです。
映画「Fukushima50」は、観客である私達一人一人にそう訴えかけているように思えます。